短歌はいわゆる「五・七・五・七・七」の字数をとり、古くから日本の詩の形式として親しまれてきたのはご承知の通りです。
数限られた中での表現は容易ではありません。しかし本当に優れた歌は、素人をして、情景や心情が「ふっと」脳裏に浮かび上がらせしめるほどの力を持っております。私自身もまだ未熟の身ですが、日々日常において感動したことを「ありのままに、率直に」表現する手段として、短歌は最も望ましいのではないかと考えております。
秋深くなって参りました。外は寒くなり、木々の葉も、あるものは色づき始め、あるものは枯葉となって舞い落ちる今日この頃です。しかしそんな中、青々と葉を広げ、可愛らしい花を咲かせる雑草が、今尚目に附きます。多くの植物にとっては「死と眠り」の時期を迎えつつあるこの季節に、未だに健気に生命を燃やし続ける雑草に、私は少なからず心打たれました。
私自身、未だ馴れない外国での勤務に、少なからず落胆と悲歎の念を覚えております。しかし、このような光景を見て「本当に解雇されない限りは、もう少し頑張ってみよう」と感じたのであります。
先日、オランダの牧草地帯を自転車で駆け抜けました。もともと山がない上に、大きな建物も電柱なく、一面「緑の地平線」が横たわっておりました。恐らく日本で、このような光景が見られる場所は滅多にないのではないかと。晴れていたので、絶景と言って良かったでしょう。
そんな中を大きく息を吸い込み、大自然の息吹を体中に取り込むことで、普段からたまっているこまごました悩みや苦しみ、そしてちっぽけな欲望や面子などを吹き飛ばせたような気がしました。まさに「心の洗濯」が出来たのではないかと。それに自転車で駆け抜けることで、心地よい運動も出来ましたし。
というわけで、皆様も、一度はオランダに来てみてはいかがでしょうか。
先日、家族で乗鞍岳に行きました。牧場にて蕨(わらび)採取に夢中になり、頂上まで登って凍り付くような強風に当たり、その後、冷えた体を白濁した温泉で温めました。
最後に訪れたのは、もう10年ほど前になりますか。私が幼い頃は頻繁に遊びに来ていたのですが、いつしかぱったりと来なくなり…。今回は久しぶりの来訪ということもあり、童心に帰って、大いに楽しみました。
近いうちに外国に旅立つので、もう家族で旅行、という機会はほとんどなくなるでしょう。というわけで、今回は非常に貴重な時を過ごせたのではないか、と感じています。そして、出来れば一生の想い出にしたいと思います。
3月末に、石川県の能登半島に列車で旅行しました。ちょうどのと鉄道の穴水--輪島間が廃止されるとのことでついでに乗ってみたのですが、すごい人ごみでした。
私自身、よく鉄道を用いて旅行するのですが、自動車での旅行と違い、見知らぬ人達との出会いや別れがよくあるもので、醍醐味の一つであると言えましょう。今回は運転区間そのものがなくなる、ということで、地元の人々にとっても旅行者にとっても、ある意味大きな別れであると言えます。
確かに「もう乗れなくなる」ことそのものも悲しいことですが、それ以上に、列車を見送り、イベントを開催し、あるいは記念乗車する方々の姿に心打たれたような気がします。長年のつき合いに別れを告げる関係者や商店街の方々に対し、「バイバーイ」と無邪気に手を振る子ども達がとても印象的でした。
私の雪の歌にちなみ、ご投稿くださいました。本当にありがとうございます。
実は子供の頃札幌に住んでおりまして、雪をみるとあの頃を思い出してしまうのです。
ところで東京の雪はベシャベシャなので服につくと直ぐ水になってイヤー!雪国の雪はさらさらで叩けばおとせるのデス。
the Lena's Notebook 及び myaouの掲示板より。
今日はまれに見る大雪でした。こちらはせいぜい積もっても数mmですし、ましてや昨年〜今年にかけては積雪すらほとんどないまま暖かくなってきましたので、今回のような大雪(といっても大したことはありませんが)は驚きでした。
まさに、今までため込んで来た「冬の気」なるものが一気に吹き出し、辺り一面を覆ってしまったような印象を受けました。
まあ、日常様々な出来事がありますが、いくら大事なことでも、どんなに考えても歌が出て来ないことがあります。やはり「はっと」何かを感じた時が、最も歌の文句が出やすいようです。
ようやく20世紀最後のクリスマス、そして年末です。時々両想いのカップルに出会うたびに羨ましい想いをするものですが。我々の職場でも例外ではなく、わたくしと同年代の年長の者たちには既婚者も少なくありません。
まあわたくしも何度か人に恋をしたことはありますが、いつも答えは「他に好きな人がいるから」。よほど嫌われているんやなあ、自分は。
それでも懲りずにまた人を好きになると言う悪循環ですが、今は恋人、というよりペンフレンドがおります(もちろん異性ですが)。それでも遠方であり、またお互いに忙しい時期なので会う機会すらないのが現状です。
わたくしも現在は学位所得のため、実験と論文作成に夢中です。成功するかしないかで今後人生が大きく変わるかも知れません。ここで逃げたらやはり「負け犬」になってしまうので、この正念場を逃げずに、魂を籠めて取り組んで行きたいと思います。
まあ彼女とは文通は出来ますから..。まだ両想いになったわけやないけど..。当面はこれで我慢、と。
わたくしも夢を見て感動のあまり涙を流すことがありますが、たいていは両親に関係したものが多いようです。
いつも家に帰れば親からは小言ばかり(と言う程でもないですが)。「わざわざ叱られに親の元に帰るのか?」などと思い、いつしか親のみならず、あらゆることに対する感謝の思いが薄れてしまったのは事実だと思います。
今回見た夢は、悪霊となった父ちゃんを自分・妹・母ちゃんの手で救う話なのですが、元に戻った父が家族に恩恵をもたらす、という結末だったのです(注意:現在はうちは両親とも健在です。念のため)。確かにいろいろ言われたときもあったけど、ここまで自分を親身になり、やさしい気持ちで育ててくれた両親に感激し、感謝し、思わず涙が溢れたものです。
今後、すべての物に対する感謝の念を忘れぬよう、普段から心を磨く必要があるのでしょうね。
ちょうど1ヵ月前、妹の結婚式がありました。いわゆる披露宴は(特に洋式は)音楽が鳴り響きシャンデリアもきらびやかに、とても派手なイメージがあるかと思われます。妹のそれはどちらかと言えば洋式だったのですが、親族だけの集まりということもあり、厳粛な、まさに「契を結ぶ儀式」そのものであったような気がします。
「結婚式はどうせやるなら」とお考えの人も多いかと存じます。しかし今後2人でしっかりした家庭を築き上げる以上、それなりの心構えを持たせる会にする必要はあるかと思うのです。その意味で、妹の結婚式はまさにそれにふさわしいものになったのではないかと確信しております。
結婚式は終わりました。あとは2人で荒波を渡っていかねばなりません。妹夫婦に大いなる幸あらんことを。
出張で新潟に行って来ました。途中長岡駅で降り、数時間ほどぶらぶらしておりました。本当は郷土記念館に行こうと思ったのですが、結局道に迷ってしまい、田んぼをうろうろしました。
駅から数十分くらいだったのですが、あたり一面の田んぼ。疲れたのでふと下を見ると、大きな用水路に小さな魚がいっぱい! 集団で細長い身体をひらめかせながら泳ぐさまには本当に感銘をうけました。時々銀鱗が日に当たってぴかぴか光るのが印象的でした。
日本の町中にもこのような光景があることを知り、感動のひとときを過ごすことが出来ました。
8/1にPL花火芸術を見させて頂きました。今回も相変わらずすごかったです。皆様も一生のうち一見の価値はあるでしょう。
ところでこの花火は、PL教団初代教祖が世界平和祈願のために打ち上げようとしたのがはじまりだそうです。ただ私は今回の花火を鑑賞して違うことを考えておりました。「せっかくの短い生なのだから、一瞬でも世界に名だたる人物になるたい」と。まあ誰でも考えることではありますが。
最近風邪(?)でぶっ倒れていました。でも無理が祟ってのことなので、これも休みを取る機会が出来た、ということで、ありがたく休養を取らせていただこうか、と思いました(でも実際はかなり苦しみましたが)。
(後日談;あの日以来、熱が下がったかと思いきやのどが痛くなり、それが直ったら今度は背中が痛くなり..と、もう散々でした。薬もなかったので、ひたすら寝て直しました。
我々の研究はすぐには社会の役に立つものではないですよね。最近はすぐに金になるものに飛びつくか、あるいは単なる知的好奇心だけで研究に没頭するかのいずれになりかねない感じでしょう。が、今一度ここで基礎研究のあり方を考えてもいいのでは、と思います(偉そうな言い方ですみませんが、以上が私の思いです)。
(9月はまだまだ残暑厳しい今日この頃です。ばてないようがんばりましょう)
メインページに掲載したもの以外で、以下の歌を作ってみました。あまりおもしろくありませんが..。
(最近実験がうまくいかなくて...。)
(生協組織部での議論)