「神仏参拝」:何を願うべきか

初詣にて

今年も1月1日に初詣に行って来た。我々の家族は、例年とある教会に参拝している。中には浮かれている人もいるが、大抵の人々は、それぞれの真摯な念願を以って望んでいると思われる。

今年も、神社仏閣にて、大勢の人が初詣に出かけた。ところでいつも思うのだが、人々がどのような御願いをしたのか、とても興味深い。以下、自戒の意味も込め、自分の考えを述べたい。

望ましくない「自己利益」的な願い

普通は無病、家内安全、あるいは景気回復といったところであろうか。で、これらの願いを何のためにしたのか。これが非常に重要であると思われる。私は、自分達の利益を求めて神仏にお願いするのは好ましくないと考えている。

出来れば、同じお願いでも、単にご利益を願うのではなく「今後も人世のために役に立てるよう」ということを念頭に置いた上でお願いすべきだと思う。

他者の幸福/グローバルな幸福を願う

それにしても、初詣で「世界平和」「共存共栄」を願った人はどれだけいるのだろうか。今回のニューヨークテロ事件を例に出すまでもなく、現在、戦争状態は我々にいつ降り掛かって来るかおかしくない状況にまで来ている。「自分達さえ良ければ良い」という思いはいつかは破綻する。自分達が我田引水的な利益を求めれば、必ず他方でしわ寄せが生じる。そして、それによって起こる禍は、めぐり巡って自分達の身に跳ね返って来るからである。

世界中の生きとし生けるものがすべて安心して暮らせるようになるためにも、世界視野に立った価値観を身に附けることが肝腎であろう。

感謝のための祈り

あるいは、今までの恵みに対して(個人的なものにせよ、グローバルなものにせよ)感謝をした人はいたのだろうか。

今の我々の幸福や平和は、先人達が苦労して築き上げたものの上に成り立っている。また、今の我々の能力や成果などは、周囲の方々の誠意・努力の上に成り立っていることを忘れてはならない。自分自身の技能や天賦の才能さえも、もとはといえば「天からの授かり物」である。それこそ、自分自身の力のみでは、成果を成し遂げるどころか、日々の生活さえも出来ないのだ。

「自分一人で全て出来る」という想いは幻想だ。自惚れてはならない。今後も自分の能力を生かすためにも、人との関係をより良くするためにも、いつ何時も感謝の念を忘れてはならないと思う。その念を強く表せるという意味で、初詣は良い機会であろう。