芸術の三種の神器..形式・内容・実行

感動を呼び起こしたコーラス

先日コーラス発表会があった。私を含む多くの人々が素人であり、それに加え、なかなか練習の時間が取れないなどの苦労があった。

しかし、練習のかいもあり、何とかまともに歌えるようになった。何よりも、多くの聴衆の方々から「歌を聴いてじーんと来ました」というコメントを頂けたことが嬉しかった。

芸術に必要なもの

さて、芸術作品を人々に働きかけるものにするためには3つのもの...すなわち「形式」「内容」「実行」..が必要である。

形式は、作法や隊形など、内容は実際表現する中身、そして実行は、実際に表現を行う人の心構えや姿勢、心意気などである。多くの人々は「形式」と「内容」を重視する傾向にあるが、「実行」がそれ以上に重要な働きを示すことに気づいていない。

今回のコーラスが聴衆をして感動せしめたのは、優れた歌を厳選し、かつ隊形など、外見にも拘ったことはもちろんである。しかし感動せしめた本当の理由は、メンバー一人一人が不満を持つこと無く、練習や本番を心から楽しみ「本当に皆が感動する歌を作り上げる」べく、一丸となって一所懸命に取り組んだことにある。

一方、形式のみに因われていたり、義務感や不満に満ち溢れていたならば、どんなに良い歌であっても人を感動させることはなかったであろう。

日常生活でも同じである

このことは何も芸術のみにとどまった話ではない。

ごはんの炊き方を例に挙げると、同じ厳選した米と水を使ったとしても、作る側の心に誠がこもっていなければ、どことなくまずくなってしまう。ご飯を炊くことに対して誠意をこめないことで、手元が狂ってしまうことも、原因の一つであろう。

ウェブサイト作成において

さて、これをウェブサイト作成に当てはめてみる。

htmlの文法に気を使うこと自体は「形式」の重視に繋がるわけだが、Another html lintで100点を目指すことのみに腐心する(偽html原理主義者)のは「形式」のみにとらわれた姿である。

一方、htmlの文法なんて糞食らえと思うのは「形式」を軽視した姿である。結論から言うと、いずれの態度も間違っている。本当にhtmlを理解している人達(本物のhtml原理主義者)ならば、納得の行くマークアップを目指すことで、結果的に内容の質を昂揚せしめ、様々な環境への配慮を行うことで、サイト作成に誠意が籠り、結果として「人々をして感動せしめる」作品を作り上げることが可能なのである。