何時も感謝の心を忘れずに

りんごの謝礼に関する不満

先日、母方の実家からりんごが送られて来た。とても一人では食べ切れないので、近所の知り合いや、研究室のメンバーにも配って回った。通常スーパーで出回っている「甘いだけ」の品種とは違い、程良い酸味があるため、かなり好評であった。

そんな中、とある行きつけの食堂の奥さんにもあげようと思い、早速数個のりんごを用意し、手渡しをした。しかし、あまり嬉しそうな顔をせず、紋切り型なお礼を述べただけにとどまった。

数日後、同じ食堂に行き、いつものように食事をした。その後の会計で、くだんの奥さんから開口一番の言葉は「この(定食)セットはもうやめにしてください」であった。おい、おれは開店以来の客なのに(いくら地元の住人でないとはいえ)、それはないだろう? 第一、あのりんごに関するコメントは全く無いのか!? 私は非常に立腹しつつ、食堂を去った。

相手は自分の鏡だった!!

その後帰省し、事の成行きを親に話した。両親からの返答は、以下の通りであった。

ではお前は、りんごが送られた時や(母方の実家で)おばさん達にお礼の言葉は言ったのか?

そう、そういう私も忘れていたのだ。

その後両親曰く、 お前がその奥さんに対して腹を立てたのと同様、おばさんたちも同じ思いをしたのではないか? と。言い替えれば、食堂の奥さんは私自身の「鏡に写った姿」だったのだろう。早速猛反省をし、改めて母方の実家に、お礼の言葉を電話で申し上げた。

感謝の必然性

世に曰く「感謝は探してでもせよ」と。感謝の薄い人間は、施しをされるとそれが当たり前のように感じてしまい、施しが無いと文句を言う。善意で施しをした相手は腹を立てるばかりか「こんな奴に良くしても無駄だ」と思い、その人から離れて行く。人との信頼関係を失い、孤独な人生となるだろう。

逆に感謝の出来る人間は、善意で施しをした相手はもちろん、その他周囲の人々から好感を持たれる。誰でも感謝されて腹を立てる人間はいないはずである。その中から信頼関係が成立し、人間関係は充実する。

感謝は表現せよ

また、感謝というものは、ただ思っていてもだめである。表現しなければ相手には通じない。また、相手に通じるような表現でなければならない。「うっかり忘れてました」は論外である。常に他人を思いやる念を持ち、適切な表現を的確に行うための訓練が必要だ。

以上の話は、私の体験からの教訓を自戒の意味を籠めて述べたものである。私自身、上記のごとく「感謝が薄いばかりに、知らずに人を傷つけてしまう」場面が多い(と言うより、相手の気持をわきまえない表現を発することが多い)ので、今後充分反省し、今後の自己表現を改善し、人間関係改善に向けて懸命に努力したい。