夢や希望がなくて何が楽しい?

夢・希望と不幸

最近の某雑誌で、松尾スズキ氏が 人間、夢だとか希望だとかそんなものなくたっていいじゃないか。世の中はすごくくだらないものだから とおっしゃっていた。全く身の相応をわきまえない願望がすべての不幸の始まりである、と。上記の意見に関して少々気になったところがあったので、私なりの見解を述べたいと思う。

夢・希望とやりがい

まず第一に思ったのは「夢や希望を持つ持たないは自由だが、それらがなくて何が楽しいんだ? それらを持つことは悪いことなのか?」ということである。

各種時代において、世界のリーダーとなり世界を動かした人は「夢や希望を最後まで持ち続けた人」ではないのか?「今まで取るに足らない人がある日突然大臣に任命されました」などというのはおとぎ話の世界である。

様々な困難にもめげず、夢や希望を持ち続ければ、いつかはそれを促すような出来事が起こるはずである。何も思っていなければ何も実現しないし、あったとしてもそれを機会としてとらえ、ものにするためのアンテナは備わらないのではないか?

思いと実行、そして実現へ

同氏の意見に関しては、必ずしも否定的とは限らない。なぜならばたいていの場合、夢や願望は、ただ持ち続けていてもだめだからである。必ず実行が伴わねばならないからである。それも願望が高ければ高い程それに相応する努力が必要なため、あまりにも身分相応でない願望は失望につながるのは否定できない。

ただ、そこで思うのは「夢や希望を持ち、それに向かって懸命に実行を重ねる、努力する」のはある意味「生きている証」につながるのではないかと思う。人はそれぞれこの世界で取り換えのきかないただ唯一の存在なのだから、自分の生活において自分らしさを出したいのは人情ではないだろうか。それに、一所懸命に努力している姿は、端からみても感銘を受けるものである。たとえ失敗に終わったとしても、本気になって取り組むことが出来れば、その働きは、周りの雰囲気を変えることくらいは出来るだろう。